舩越園子のWorld Golf FUN FAN REPORT

全英オープン覇者、フランチェスコ・モリナリの
「土台」を築いたもの

文・写真/舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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今年の全英オープンはフランチェスコ・モリナリの見事な勝利で幕を閉じ、イタリア人による大会初制覇とメジャー初制覇は世界のゴルフ界に驚きと喜びをもたらした。

「ゴルフがメジャーではない国」

モリナリは母国イタリアを、そう表現していたが、そんな「ゴルフ小国」からメジャーチャンプが生まれた背景には何があったのかを探ってみたら、興味深いことがわかった。

まだ12歳だったモリナリ少年が、聖地セント・アンドリュースで開かれた1995年の全英オープンでイタリア人のコンスタンチノ・ロッカが米国人のジョン・デーリーに惜敗した姿をテレビで眺め、「いつか僕がイタリア国旗を掲げてみせる」と心に誓った話は、すでにご存知のことだろう。

「ゴルフがメジャーではない国」とはいえ、すでに23年前にはロッカのようなトッププレーヤーが存在していた。ゴルフの振興とゴルファーの育成を図る「イタリア・ゴルフ・フェデレーション」も活動を広げ、有能なジュニアやアマチュアに用具を提供したり、コーチをつけたり、大会への参戦費用を援助したりという支援をしていた。

だが、イタリアのサポートシステムには、欧州他国とは決定的な違いがある。他の国々では、ひとたびプロ転向したら、大半の支援が打ち切られるのに対し、イタリアはプロになってからもサポートし続ける。モリナリも「プロ転向から2年間、フェデレーションから転戦費用をサポートしてもらった」。

ゴルファーが経済的に最も苦労するのはプロ転向直後の数年間だ。自分はプロになって、やっていけるのか。そこに不安を覚え、あるいは、すでに経済的に困窮し、才能も技量も備えていながらプロへの道を諦めようとする若者がいたら、イタリア・ゴルフ・フェデレーションは救いの手を差し伸べる。

さらに、ジュニアやアマチュアとプロゴルファーの合宿や交流会も開いている。

「イタリアのゴルフ界は小さな世界。でも、みんな一緒になって、1つの大家族になる」とは、モリナリの言。「ゴルフがメジャーではない国」「ゴルフ界が小さな世界」だからこそ、その「スモールワールド」を逆利用し、ジュニアもアマチュアもプロも「みんな一緒」という他国にはない別世界を作り出している。

その別世界では、ジュニアが早いうちからプロゴルファーと接し、技術面やメンタル面の指導も受け、プロゴルフの世界がどんなところであるかを直に見聞きする。

モリナリは欧州ツアーで15年以上も戦い続けたアルベルト・ビナイから大いに刺激を受けた。そのビナイはツアーから引退後、ナショナルコーチに就任し、マテオ・マナセロを育て上げて2009年にイタリア人初の全英アマチュア・チャンピオンへと導いた。

彼らは、みなイタリアでゴルフクラブを握る「ゴルフ一家」の一員なのだ。

夢を抱き、現実も知る

12歳でロッカの雪辱を胸に誓ったモリナリ少年が、もしも自力だけで世界を目指していたら、転戦費用が枯渇していたかもしれないし、抱いた夢と現実の世界との距離感がなかなか掴めず、迷える子羊のごとく彷徨っていたかもしれない。

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まるで家族のように接していたからこそ、先輩プロたちは母国の後輩ゴルファーに「本当のこと」を本音で語った。「メジャー制覇を目指せ」と奮起させるだけではなく、ツアーで戦うことはどれほど厳しいか、シードを維持するだけでもどれほど大変か、世界のトッププレーヤーと自分たちの間にはどれほど差があるか、そうしたことを体験を交えて語り聞かせたそうだ。

モリナリが全英オープンで勝利した数日後。彼のツアー仲間が、いつぞやにモリナリがツイッターで発信していた「引退計画」を明かし、大いに話題になった。

「あと2年半ぐらいで引退する。テレビでスポーツ中継を観る。カフェに通ってコーヒーを1日3杯飲み、読書を楽しみ、無料Wi-Fiでツイッターもする」

ずいぶんと平凡な引退計画だと誰もが思う。そういえば、2年ほど前にもモリナリが「僕はシードを維持できるアベレージ・ツアープレーヤーでいられるだけで、きっと満足だ」と言っていたことも思い出された。

夢を見るのみならず、厳しい現実にも目を向け、地道に歩むこと、歩み続けられることに常に感謝する。そんな考え方や姿勢が「モリナリの土台」になっている。だから彼はカーヌスティでタイガー・ウッズと同組の最終日を迎えたときも、サンデーアフタヌーンに単独首位に立ったときも、静かに穏やかに微笑み続けることができ、そしてクラレットジャグを抱くことができたのだろう。

「モリナリの土台」を築いたのは母国のゴルフ・フェデレーションのユニークで温かいサポートシステム。

「ゴルフがメジャーではない国」から生まれた歴史的快挙の背後には、そんな秘密があった。