舩越園子のWorld Golf FUN FAN REPORT

米ツアーで毎週のように素敵な物語と主人公が
登場する背景

文・写真/舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

米ツアーの大会は、ほぼ毎週、サンデーアフタヌーンが暮れ行くころに素敵なストーリーとその主人公が登場する。それは、人気の選手であることもあれば、日頃は地味で目立たない選手であることも多い。そして、その物語は大勢の人々の心に強く響く。

インタビューエリアに立ったリッキー・ファウラーとグリッフィンくんの父親

インタビューエリアに立ったリッキー・ファウラーとグリッフィンくんの父親

たとえば、フェニックス・オープンでは3連覇がかかっていた松山英樹が左手故障で2日目のスタート前に棄権してしまったが、その穴を埋めてくれるような心温まるストーリーが次々に見つかった。

リッキー・ファウラーとアリゾナの地元少年との交流の話は瞬く間に世界中へ報じられた。気管に障害を持って生まれ、言葉を発することができずに手術を繰り返してきたグリッフィンくんとファウラーは2013年の大会で出会い、以後、交流を続けてきたが、今年の大会前週にグリッフィンくんが7歳で他界。「僕の一番のファンだった」と偲んだファウラーは、グリッフィンくんの写真でバッジを作り、キャップに付けてプレーした。

アリゾナの地元のヒーローとして声援を浴びていたチェズ・リービー

アリゾナの地元のヒーローとして声援を浴びていたチェズ・リービー

残念ながらファウラーは勝利を逃がしたが、そうなったらなったで、また別のストーリーがさらに浮上した。プレーオフを戦ったのは36歳のチェズ・リービーと33歳のゲリー・ウッドランド。リービーは地元アリゾナの出身で、小学生のころから8年間もこの大会でスコアボードを掲げて歩くボランティアをやっていた。「子供のころの僕は4つのメジャーとこの大会しか知らなかった。この大会は僕の5つ目のメジャーだ」。そんなリービーが30年も抱き続けてきた勝利への想いが叶ってほしいと願ったファンは多かった。

だが、プレーオフを制したのはウッドランドだった。2013年以来の復活優勝を挙げたというのに暗い表情。優勝会見でウッドランドは「僕たちは娘を失った」と明かした。昨春、彼の妻は男女の双子を身ごもっていたが、女の子は生まれてくることができなかった。それから3か月後に生まれ、元気に育っているジャクソンくんを腕に抱き、「父親として初めて噛み締める勝利の味は格別だ」と語ったウッドランドの姿に人々は涙を誘われた。

優勝会見で辛い経験を明かすゲリー・ウッドランドにじっと耳を傾ける米メディア

優勝会見で辛い経験を明かすゲリー・ウッドランドにじっと耳を傾ける米メディア

その翌週のペブルビーチ・プロアマでは初出場で注目されていたローリー・マキロイが予選落ちとなったが、優勝した34歳のテッド・ポッターの復活物語に心を打たれた。

19歳でプロ転向、下部ツアーで10年踏ん張り、2012年に米ツアーへたどり着いたポッター。その年に初優勝を挙げたが、2年後に交通事故で右足首を骨折。シードが切れ、再び下部ツアーへ逆戻りし、ようやく米ツアーに戻ってきた今季、2044日ぶりに復活優勝を遂げた。「僕は生きている。プレーできることは幸せ」。涙をこらえながら、そう言ったポッターに、もらい泣きさせられた。

ストーリー性ある物語を報じる土壌

米ツアーで、そうしたストーリーが次々に発掘されることは、「記事」というものの解釈や認識が日本とはやや異なることとも関係がありそうだ。その昔、日本から米ツアーに取材に来た新聞記者から私はこんな嫌味を言われたことがあった。

「コラムニストはお気楽でいいよな。思ったことを好きなように書くだけでいい。俺たち新聞記者はデータに裏付けされた事実だけを構築して書くのが仕事だから大変だよ」

これは、この記者の認識違いというもの。コラムだって事実に基づいていなければ創作になってしまうし、事実に基づき、さらに掘り下げるコラムは、それはそれで大変だ。そして、日本の報道姿勢も時代とともに諸々の形が変わりつつあり、この記者のような発言は最近では聞かれない。

ともあれ注目したいのは、アメリカで記事と呼ばれるものの多くは、当然ながら事実に基づいた上で、しっかり掘り下げられ、主張やストーリー性があるということ。つまり、米メディアの多くは、いつぞやの日本の新聞記者の言葉をあえて借りれば、「コラムニスト」的な捉え方、書き方をしているのだ。

選手たちの人間性や人生を追いかけ、広範囲の人々に伝えたいヒューマン・ストーリーを必死に探し出して綴る。だからなのだろう。彼らは「今日のキミのストーリー、もう見つけた?」と尋ねてくる。「アーティクル(記事)」とは言わず、「ストーリー」と言う。それは、人々に訴えかける物語を発掘できたかという意味だ。

常日頃から、そういう姿勢で報じられたストーリーを読んでいる読者のほうもストーリー性のある読み物を求める。それがスポーツ報道であるという認識ができているから、取材される側の選手やキャディも、それを前提に取材に応えようと、よく語り、胸の内を明かしてくれる。

米ツアーや主催団体も物語の発掘や報道への協力を惜しまない。ファウラーと少年の話をメディアへの日々のリリースに記し、少年の父親をファウラーと一緒にインタビューエリアに立たせ、スピーチを促したのは米ツアーだった。

米ツアーで次々に素敵な秘話が登場するのは、単に「層が厚いから」だけではない。みんなの意識、みんなの協力で、そういう土壌ができているからだ。そして、その土壌が米ゴルフ界を繁栄させ、ますます層を厚くしているのだと私は思う。