トラ・メモ Vol.2
Traditional & Memorial Tournament Vol.2
LPGA創立50周年
日本女子プロゴルフ選手権
50回大会
LPGAは今年創立50周年を迎え、これまでにさまざまな事業や変革に挑んでいる。
そこで小林浩美会長に、協会運営の醍醐味や被災地・岩手で開催された日本女子プロゴルフ選手権コニカミノルタ杯の感想、さらにこれからLPGAツアーが目指すべき方向性などについて話をうかがった。
─ LPGAが50周年を迎えました。50年の変化を、いまどのように感じていますか?
草創期の試合数は2試合、それがいま38試合にまで増え、賞金総額も37億1,500万円と、5年連続で過去最高額を更新しています。今の選手はビックスコアを続けて出してくるし、予選カットのスコアも格段に上がっています。もちろん競争する人数も国内だけではなく海外からも増えましたので、初期の頃とは劇的に変化しています。50年間の変遷を感じます。
─ その協会の会長に就任されて7年になりましたが、ご感想は?
ものすごくやりがいがあります。わたしが会長に選ばれたのは何故なんだろうと考えると、やはりアメリカツアー13年の経験を活かすことだと感じます。それは、グローバル競争に打ち勝つこと。そのためにやることは、「グローバル・スタンダード」ということに集約されると思っています。そうすることで、主催者様に長く応援していただきたいというのと、より多くのゴルフファンの皆さんから女子ゴルフは「プロってすごいね。行って楽しいね」と言っていただけるようになりたいなと思っています。いま協会を運営していくにあたって、理事6人の方と一緒に先輩方が築き上げた大きな土台の上に、さらにいい形を積みあげていくことが大きな役割だと思っています。
─ 現在の課題というと?
2013年からツアー強化として、グローバル化を目指していろいろな施策をやっています。長らく日本の女子ツアーは3日間競技が主流だったわけですが、すでに90年代以前からアメリカでは8割方が4日間競技でしたし、ヨーロッパでも4日間が普通になっています。そういう意味からすると、グローバルに対峙して勝っていくには、日本も4日間競技化というのは必須です。目標は全体の半数が4日間大会になることです。
─ 4日間競技は選手も、コースセッティングも、主催者も変化が必要ですね
選手はまず体力をつけなくてはいけません。4日間もつ技術力が必要だし、攻め方も精神的強さも変わります。また世界では様々なコースがあるので、コースセッティングの多様化も図っています。それにはもちろんゴルフ場様や主催者様の理解と協力が必要です。また大会会場での練習場環境はとても重要です。そこでツアー中の練習時間の大部分を費やすからです。私たちは練習場環境の標準表を作り、実態を点数化してさらにより良い環境を提供できるように取り組んでいます。
─ 50周年の節目の年として、とくに力を入れていることは?
やはり、ゴルフにおけるスポーツビジネスの基盤構築です。私たちは野球やサッカー、卓球、テニスなどいろんなスポーツと競争しています。その中で女子ゴルフを見てもらいたい、スポンサーさんに女子ゴルフを選んでもらいたいということですね。これは協会の発展と存続に直結することです。スポーツはグローバル競争になって久しいですから、世界で活躍する選手を育てて輩出しなければいけない。多くの皆さんに喜ばれるようにするにはどうすればよいか、時代に即して努力を続けていくことが大事だと思っています。今年スポーツ庁の鈴木大地長官が、競技力強化やスポーツのビジネス化に向けた方針「鈴木プラン」を立ち上げました。国を挙げた政策になっているということは、プロスポーツがそのくらい変革が必要だといわれていることですし、私たちの中期計画「LPGA2019ビジョン」とも合致する内容なので、協会としても結果を出すべく頑張っていきたいです。
─ 中期計画「LPGA2019年ビジョン」のテーマは「変革、そして成果へ」です。進捗状況は?
毎月重点テーマの精査をやっていますが、目標通りにいっているところと、どうしても遅れているところが出ています。数字として結果を出すことを目標に、主にスポーツ団体の核となる権利関係の基盤作りに取り組んでいます。2012年度から民間のコンサルタント会社の協力を得て、2013年「LPGA2016ビジョン」を協会として初めて中期計画を作り、徐々に成果として表れています。例えばツアー強化ではステップ・アップ・ツアーや4日間競技などを重点テーマに入れ、目標数値設定をして、特にステップ・アップ・ツアーでは大会数が目標以上に達成できました。そして50周年にあたり「ゴルフをもっと日常に」というテーマで、国内はもちろんインバウンドに目を向けたゴルフの普及拡大を図っています。ツアーに紐づけた新たなゴルフファンの獲得にむけて「初めての観戦ガイド」や「動画・写真コンテスト」など、さまざまな取り組みをしているところです。
─ 50回記念大会となった、今年の日本女子プロゴルフ選手権コニカミノルタ杯を終えてのご感想をお聞かせください
特別協賛をいただいていますコニカミノルタ様のお陰で、賞金総額を史上最高額の2億円にしていただき、メジャーとしてのステータスをさらに引き上げてくださり、「日本一」のプロを決める大会から「アジア一」のプロを決めるメジャーとして、大きな第一歩を踏むことができました。また、天候の影響で競技開始時間が4時間遅れたたために、図らずも生放送で世界にネット配信ができたことです。最終日のネットのアクセス数が昨年度の10倍近くになりました。
また、50周年記念としてゴルフを通した社会貢献活動に重きを置き、東日本復興支援活動の締めくくりとしました。2011年から、震災復興支援として選手たちが獲得賞金の3%から1%を義援金として供出するなか、被災した3県のなかで岩手県だけ試合の開催がなかったんですね。私たちが想像した以上に大勢のギャラリーが来てくださり、安比高原GC(岩手県)でやって本当によかった、と心底思いました。最終日は朝から雷雨でスタート時間が4時間も遅れたので、最終組がホールアウトした時にはすでに真っ暗寸前。でもグリーン周りで大勢のギャラリーが選手を温かく迎えてくれました。本当に感動しました。
女子プロ選手権の会場(安比高原GC) には歴代優勝者のパネルが飾られていた
─ 2017年、ここまでのツアーの感想は?
毎年、実力ある新人が登場し、若手からベテランまでいろんな世代が活躍しています。ビックスコアを出す選手が増えて、より積極的に攻めるプレーが目立ち、見ごたえが増しています。各自実力を上げる努力はもちろんですが、前夜祭やプロアマ大会でのホスピタリティも努力して取り組んでいますし、毎年何らかのファンサービスを考えています。選手は本当に頑張っています。
─ ギャラリーについて思うことはありますか?
今季、入場者数が最高を更新した試合が4つほどありますが、トーナメントの入場者数は去年に比べて約15%増なんです。私見ですが、いま音楽でもライブがすごく人気です。スポーツも同じことで、ライブ、つまり会場に行って生を見て、そこでお客さんが楽しむ。多くの皆さんの楽しみ方がより現場主義になっているというのが、ゴルフにも現れているのかなと思っています。やはりたくさんのゴルフファンに囲まれてプレーできるのは、最高です。とてもありがたいです。
─ これからの50年に向けてのビジョンは?
やはり将来は米国PGAツアーのようになりたいです。果てしなく遠く巨大な目標ですが。まずは国内競争力を上げて、世界に伍するツアーになりたいですし、アジアの中ではリーダーになりたいです。そのためにはツアーのグローバル化は必須であり、そうならなければ世界の土俵で戦えないと感じます。これまで主催者様や大会関係者の皆様の大きな支えでここまで大きく発展してこられましたし、その仕組みの上で育てていただきました。これからさらなる発展をするには、さらに協会基盤をしっかりつくって、ツアー全体をけん引できる団体に成長していきたいです。
国内最高峰の女子競技の一翼
日本女子オープンの新たな可能性
日本ゴルフ協会(JGA)が主催する「日本女子オープンゴルフ選手権」も今年、50回という記念すべき大会を迎えた。日本女子ゴルフの最高峰ともいえる大会が、半世紀の歴史を刻んできたわけだ。
ここでは、ナショナルオープンである日本女子オープンの歴史を振り返ってみたい。
1967年、日本プロゴルフ協会が女子プロテストを実施し、同協会女子部が設立されると、翌1968年7月に「第1回日本女子プロゴルフ選手権大会」が始まり、ようやく女子の競技ゴルフも本格的に始動することとなった。同年12月「第1回TBS女子オープン」がスタート。日本女子オープンの前身だ。当初は、東京放送によるスポンサードトーナメントだった。第1回大会の賞金総額は50万円、優勝賞金は20万円だったという。大会前は「プロよりアマチュアのほうが強い」「アマチュアのご婦人はプロと一緒にプレーしない」などと不安視されていたが、いざフタを開けてみると大成功。参加98人のうちアマチュアは43人で、初代優勝者は女子プロ1期生の樋口久子だった。
1971年の第4回大会から主催がJGAに移り、日本のナショナルトーナメントとしての歩みが始まった。樋口は第1回から4連覇を達成。この後も1980年までに4勝を挙げ、いまだ誰も到達できない同大会8勝を記録している。
1980年代に入ると、女子プロゴルファー第2世代ともいえる大迫たつ子、森口祐子、涂阿玉、吉川なよ子らが活躍。さらに90年代には小林浩美、塩谷育代、服部道子らが優勝し、女子プロゴルフの人気を不動のものとした。
2005年、宮里藍が史上最年少記録(当時)の20歳で優勝。会場の戸塚CCには、女子ツアー最多記録となる4日間合計4万8677人の大ギャラリーが詰めかけ、大きな話題となった。
2016年には畑岡奈紗が史上初のアマチュア優勝、最年少制覇(17歳)を達成。プロ転向した畑岡が今年、史上2人目となる大会2連覇を達成したことは記憶に新しいところだ。
誰も想像し得なかった新世代の活躍は、日本女子オープンの新しい可能性を感じさせる。