舩越園子のWorld Golf FUN FAN REPORT
珍事が投げかけた「一貫性」の課題
取材・文・写真/舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
今年の全米オープンは雷雨中断と日没サスペンデッドを繰り返す不規則進行となったが、天候による大荒れはゴルフには付きもので、いまさら驚くことではない。誰もが驚かされたのは、言うまでもなく、ダスティン・ジョンソンが遭遇させられたルール上の珍事。あの出来事を通してゴルフに携わる世界中の人々がいろいろなことを考えさせられたと思うが、ここであらためて振り返ってみたい。
最終日の5番グリーン上。パーパットを打とうと構えた際、ボールが動いたと思ったジョンソンは、その場でルール委員を呼び、ルール委員は「ノーペナルティ」と言い渡した。それなのに12番でUSGAの別のルール委員がやってきて、ホールアウト後に一打罰を科す可能性をジョンソンに伝えた。
一打の重みが限りなく重い優勝争いの真っ只中で一打罰の裁定を引き伸ばしたUSGAの曖昧な対応。これが「第一の珍事」だった。
一打罰が科せられるのかどうかがわからないままジョンソンが12番からの残り7ホールをプレーしていた間、ローリー・マキロイをはじめとする他選手たちから「USGAの対応はおかしい」という声がSNS上で次々に発せられた。ジョンソンがリードを広げたことで、最終的に科せられた一打罰は勝敗には結果的に影響を与えなかったが、他の選手たちの意見も世界のメディアの論調も総じてUSGAの対応に批判的だった。
そして翌日、USGAは曖昧な状況と混乱をもたらしたことを「残念に思う」と謝罪声明を出した。これが「第二の珍事」だった。
何がいいのか、悪いのか
考えさせられたのは、第一と第二、2つの珍事の良し悪しだ。「第一の珍事」は曖昧な時間を経た上で「無罰から一打罰へ」と裁定が変わり、「第二の珍事」は「こうあるべき」という信念に基づいて取ったはずのUSGAの対応方針が翌日には「後悔してます」という具合に変わったことになる。
心情的な面から眺めれば、USGAが素直に謝ったことは「いいこと」「潔いこと」なのだろう。翻弄されたジョンソンや他選手は気持ちの上で「少しは救われた」のかもしれない。だが、冷静に眺め返すと、24時間以内に2度も決めごとや姿勢を翻した事態、いや翻さざるを得なくなった事態は、「謝ったからそれでいい」という次元ではなく、USGAのみならずゴルフをつかさどる団体や組織全体に大きな課題を投げかけたのだと私は思う。
ルール委員がその場で下した裁定は絶対であるべきだ。そこに一貫性がなくなってしまったら選手にとっても大会にとってもルール上の拠り所が失われてしまう。今後、とりわけメジャーの優勝争いのような場面で今回と同様のルール上の判断が求められた場合は、後から変更する事態にならないよう、一人のルール委員だけに判断させるのではなく「その場で複数のルール委員を立ち合わせる」「ルール委員がその場からUSGA本部と無線や電話で協議した上で裁定を下す」などといった工夫が必要になるのではないだろうか。
幸か不幸か、ジョンソンは12番以降はあえて「リーダーボードを見ないようにしていたから自分の位置はわかっていなかった。だから(曖昧な一打罰の)影響はなかった」と言った。しかし「僕がボールを動かしたとは思わない」と一打罰には納得していない。だがUSGAは、混乱を詫びる謝罪声明は出しても、一打罰の裁定は翻さず貫いている。そうあって然るべき。ビデオ画像を精査した上での公正な最終判断なのだから、一打罰の妥当性については、たとえジョンソンが納得していなくてもUSGAの裁定を尊重するのが筋だ。
米ツアーなら無罰!?
とても気になっているのは米メディアとジョンソンのこんなやり取りだ。「ダスティン、これが米ツアーの大会だったらキミに一打罰は科されたと思うかい?」「たぶん科されなかったと思う」。
実を言えば、この一瞬のやり取りに最も考えさせられた。いわゆるローカルルールは別として、ゴルフのルールは世界共通であるべきだ。もちろん汎用の仕方や裁定の下し方には状況次第の面もあるが、ボールが「動いた」か「動かしたか」の判断や裁定がUSGAと米PGAツアーとで「異なる」と選手が感じているのだとすれば、それはおかしな話だ。
そう言えば、欧州ツアーは米ツアーが認めていない選手の短パンを今年からは練習日のみ認め始め、米ツアーとは異なるスロープレー対策を考案し、罰金や氏名公表を含めた新施策を導入済みだ。そうした施策の違いはゴルフの団体や組織間の切磋琢磨という意味ではウエルカム。しかし、ルールに関しては主催団体に関わらず統一性、一貫性を持たせなければ混乱を引き起こしてしまう。世界各国から選手が集まるメジャー大会や世界選手権シリーズ、五輪において、その都度、誰がどんな“流儀”でルール上の判断を下すのかを懸念しなければならない奇妙な事態が生まれかねない。
全米オープンが投げかけた課題は重く、本当の解決には至っていない。