舩越園子のWorld Golf FUN FAN REPORT
壮大なスケールを生み出すもの
取材・文・写真/舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
リオ五輪の前週に開催された米ツアーのトラベラーズ選手権のプロアマ終了後。バッバ・ワトソンが大会本部に出向き、10万ドルを寄付した。ワトソンは2010年にこの大会で米ツアー初優勝を挙げ、昨年は大会2勝目を達成。今年はディフェンディングチャンピオンとして同大会に臨んでいた。「ここは僕が初優勝を挙げ、今は亡き父が僕の優勝する姿を見ることができた最初で最後の場所。だからこそ、この大会のチャリティの役に立ちたいと思った」
ワトソン(バッバ=B)が言った「この大会のチャリティ」とは、トム・ワトソンと同大会が協力して推進しているALS患者のための基金のことだ。ワトソン(トム=T)の長年のキャディ、ブルース・エドワーズが難病のALSで死去したのは2004年。その前後からワトソン(T)はALSの治療法や治療薬の研究開発を進め、ALS患者と家族を1人でも救いたい一心でブルース・エドワーズ財団を創設し、さまざまな活動を行なってきた。
そして今年の大会の金曜日の夜、そのチャリティを推し進めるためのディナーが開かれ、リオ五輪出場を控えたワトソン(B)やマット・クーチャー、それにジム・フューリック、パドレイグ・ハリントン、ザック・ジョンソンといったベテラン選手たちとそのキャディらも続々やってきて出席した。もちろんワトソン(T)やALS治療に携わる医師や関係者たちも大勢、参加した。
このディナーの参加費は「1テーブル=1万ドル」という高額だったが、みな喜んで支払って出席したという。大会に出場していなかった選手たち、ディナーに参加できなかった選手たちもチャリティのためのサインフラッグなどを贈り、あらかじめワトソン(B)が寄付した10万ドルを加えると、この一夜だけで1ミリオンダラー超(1億円超)が集まったというから、そのスケールの大きさに驚かされた。
だが、さらに驚かされたのは、トラベラーズ選手権のエグゼクティブ・チェアマン、ジェイ・フィッシュマン氏も2014年にALSと診断されていたことだ。今はすでに身動きがほとんどできず、会話もままならない状態だが、この夜は車椅子でディナーに出席した。「いろいろ不自由は多いが、生きている間はしっかり生きよう。みんなで頑張ろう」
人を介して、そうスピーチしたフィッシュマン氏は、かつてグレーター・ハードフォード・オープンの名で親しまれた同大会が消滅の危機に瀕した2000年代始めごろ、なんとかコネチカット州や地域のためにこの大会を残そうと奔走し、その願いがようやく叶った2007年から同大会の冠スポンサーになった。
2004年のエドワーズの死に心を痛めた10年後、フィッシュマン氏自身が同じALSと診断されたことは運命の悪戯としか言いようがないが、フィッシュマン氏は自身が運命の岐路に立ったそのときも大会とエドワーズ財団の未来に心を砕き、スポンサー契約をさらに10年延ばして2024年まで契約を延長する手続きを取った。
(※2016年8月19日ジェイ・フィッシュマン氏逝去)
根源にあるものは選手がキャディを想う心
人間の大きさ、度量の大きさ、企画の大胆さ、そしてチャリティや寄付の金額の大きさ。何を取っても、そのスケールの大きさに驚嘆させられる。
だが、ビッグなスケールを生み出している根源にあるものは、選手がキャディに寄せる感謝と尊敬の念だ。エドワーズを生涯の友、生涯の相棒と感じていたからこそ、ワトソン(T)はエドワーズのために粉骨砕身の努力を惜しまなかった。そんなワトソン(T)の姿に心を打たれたからこそ、フィッシュマン氏やトラベラーズ選手権、大勢の選手やキャディたちが、みな救いの手を差し伸べた。
20歳代の選手たちが台頭している昨今のゴルフ界の若者たちにも、そんなスピリッツはきちんと継承されている。ジョーダン・スピースは自身のゴルフを語るとき、「I」ではなくキャディを含めたチーム全体を指して「we」で語ることで知られている。
リッキー・ファウラーは2009年のプロ転向以来、ずっとバッグを担いでくれている自身のキャディを「リオ五輪の開会式で一緒に入場行進させてほしい」とUSOC(米国五輪委員会)に掛け合い、USOCは「アスリートがそう望むなら」と、これを許可した。「キャディの僕が五輪の開会式で選手と一緒に歩けるなんて夢のようだ」
ファウラーのキャディはそう言って感激していた。選手が自分を心の底から大事に思ってくれている。そう実感できるからこそ、キャディは選手のために力を尽くし、そこに強い絆と深い信頼関係が生まれ、そこから素晴らしいパフォーマンスが生まれ、人々に感動をもたらしてくれる。
大きなものを生み出すための始まりの始まりは、いつだって愛と思いやりだ。そこから少しずつ生まれ、少しずつ拡大していく人と人との輪が、最後には壮大なスケールになるのではないだろうか。