舩越園子のWorld Golf FUN FAN REPORT
全米プロの「ある会見」と
「ペアリング」が意味していたもの
文・写真/舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)
今年の全米プロ開幕前。発表された予選2日間のペアリングを見て驚いた日本メディアや関係者は少なくなかった。
その発表は、松山がブリヂストン招待で快勝し、世界選手権2勝目、米ツアー通算5勝目、今季3勝目を挙げる2日前ではあったが、松山の強さはすでに実績と様々なランキングが実証済みだ。それなのにダスティン・ジョンソンやジョーダン・スピース、ローリー・マキロイといった今をときめく若手スター選手たちと同組ではなく、アーニー・エルスとイアン・ポールターという40歳代の2人と同組になったのは、なぜなのか。周囲の多くが首を傾げ、私も最初はそこに疑問を覚えた。だが、その見方が大きな誤りであったことを、開幕前のある会見が、そして36ホールを松山とともに回ったエルスが、私たちに教えてくれた。
開幕前の火曜日。アーニー・エルスとフィル・ミケルソンの2人が並んで壇上に座る珍しい会見が始まった。それは、彼ら2人のメジャー出場100試合目を祝う会見だった。
どちらも47歳。エルスはメジャー4勝、ミケルソンはメジャー5勝。驚くなかれ2人には33年前の1984年に世界ジュニアでともに回り、エルスが優勝、ミケルソンが惜敗したという共通の思い出があった。エルスが「あれは僕の初めての渡米で、フィルに会ったのも初めてだった。あれから、ほぼ生涯を通じて僕らは一緒だね」と笑顔で語れば、ミケルソンも「アーニーの見事なパーセーブを見て、すごい選手になると直感した」。
PGAオブ・アメリカの進行役は話題を巧みに誘導し、「かつて帝王ジャック・ニクラスは『40歳代の一番の難しさはエネルギーと渇望をいかに絶やさないかだ』と言っていたが、お2人はどうですか?」と尋ね、2人が答える。米国人記者から「もしもタイガー・ウッズがゴルフ以外のスポーツに進んでいたら、自分はもっとメジャーで優勝していたと思いますか?」とユニークな質問が飛び出し、2人が答える。
会見の様子はウエブ上で動画配信され、ゴルフ専門TV局でも放映されるため、質疑応答のすべてが米国、いや世界中の人々の目に触れる。幼少時代から30年超、ライバルであり、友であり続けている2人の話に耳を傾ければ、プロゴルファーっていいな、ゴルフって素晴らしいな、ゴルフがある人生は楽しいし、最高だなと思えてくる。
「エルス&松山」こそが、目玉組
ゴルフが生活の中に文化として根差している米ゴルフ界において、「年月の長さ」は重要な要素だ。エルスとミケルソンが長い年月をかけて築いてきたものは、「ゴルフ=生活、人生」を物語っている。PGAオブ・アメリカはそんな2人に最高の敬意を払い、彼らを目玉選手に据えていた。大勢のギャラリーがスピースやマキロイら若手スターの方へ詰め寄せるとしても、メジャー大会の主催者として示すべきは、ゴルフ界の貢献者へのリスペクト。だからこそ、特別な会見を開き、大きなケーキも用意して、盛大に2人を祝福した。
そして予選2日間のペアリングは、前年覇者のジミー・ウォーカーとミケルソンを同組に設定。日本やアジアをはじめとする世界の期待を担い、メジャー初優勝の多大なる可能性を秘めた松山とエルスを同組に設定。そう、その2組こそが、今年の大会の一番の目玉組だったのだ。
会見の場では「僕は今週、ヒデキと一緒にプレーする。僕は以前から彼を応援している。ヒデキには他にはない素晴らしい何かがあるからね」とエルスの口から松山観が発せられ、その言葉はすぐさま世界へ報じられた。
いざ試合が始まると、エルスは36ホール目の18番で松山と並んで歩き始め、「そうだろ?」としきりに何かを説いていた。松山もうれしそうに笑ったり頷いたり。残念ながらエルスは予選落ちしてしまったが、エルスから「何か」を受け継いだであろう松山が優勝争いを演じ、メジャー初優勝に王手をかけた展開は最高のストーリーだった。
優勝したジャスティン・トーマスはPGAオブ・アメリカ所属のクラブプロである父親と祖父を持つゴルフ一家の出身で、そんなトーマスが勝利したことはPGAオブ・アメリカにとって、またとない嬉しいストーリーだと米国では報じられている。もちろん、それはその通りであろう。
だが、エルスから松山へ授けられたものがいつか花開いたとき、今年の全米プロで彼ら2人を同組にしたことをPGAオブ・アメリカは、ひっそりと喜ぶに違いない。エルスと松山の記憶の中でも、あの2日間は忘れがたき日々となるはずだ。