今年のメジャー4大会を振り返って思うこと
トッププレーヤーを包む家族愛、人間愛。
裾野の広がりとチーム化。
~時代とともにゴルフとゴルファーの在り方が変わりつつある~
「もう来年の4月までメジャーがないと思うと、なんだか淋しい」
全米プロが終わり、今年のメジャー4大会すべてが終了したとき、ジョーダン・スピースは、そう言った。
マスターズと全米オープンを続けざまに制し、全英オープンでも全米プロでも優勝争い。全米プロでは2位に終わったものの、22歳にして、世界一の王座へ。この1年でスピースの人生は大きく変わり、これからも、さらに変わっていくだろう。果てしない可能性を秘めた若き王者の前途は洋々だ。
だが、今年のメジャー4大会がスピース一色だったかと言えば、そうではなかった。全米オープンでは、2日目に持病のめまいで倒れながらも優勝争いに絡んだジェイソン・デイ、そして優勝目前まで迫りながら72ホール目に3パットとして惜敗したダスティン・ジョンソンにも人々の視線が注がれた。
全英オープンでは1打差でプレーオフ進出を逃したスピースとデイの悔しがる姿に世界中のゴルフファンが溜め息を漏らした。全米プロではスピースとデイの優勝争いを人々が固唾を飲んで見守った。
その陰で、全英オープンでも全米プロでも首位発進しながら失速していったジョンソンの悲哀を感じ取っていたゴルフファンも多かったことだろう。
どのメジャー大会でも同じような面々がリーダーボードを飾り、その誰もが若く、その誰もがストーリーに富む選手だった。そして、彼らのストーリーには、かつてないほど選手の家族やチームの面々が登場し、そこには人間愛に溢れたドラマがあった。だから今年のゴルフ界は穏やかな笑顔と涙に溢れ、輝いているのだと思う。
スピースの人生物語
昔から、メジャーを制した選手の苦労話というものは成功の裏に隠された秘話として、後々、表に出てくることはあった。それらは往々にして、下積み時代の貧しい転戦生活だったり、出世払いを前提にパトロンが付いてくれた話だったり、あるいは絶不調の深い闇から救い出してくれたコーチとの千載一遇の出会いの話だったり。
だが最近は、そうしたプロゴルファーとしてのキャリアにおける苦労話のみならず、生まれ育った家庭環境や家族の話、ジュニア時代やカレッジ時代、はたまた憧れのツアープロやキーパーソンとなる人物との出会いや触れ合い等々、選手の人生そのものが、その始まりから現在進行形で赤裸々に伝えられるようになっている。
ツイッターやフェイスブックといったSNSの普及も手伝い、選手の素顔や胸の中が以前よりわかりやすくなったことは大きい。だが、そうしたモダンテクノロジーの発達とは相反するかのように、最近のスターたちは泥臭いほどのヒューマンドキュメンタリーを地で行っているところが興味深い。それが、フィクションではなく実話だからこそ、人々は共感し、自分を重ね、声援を送るのだろう。
スピースは、まさしくその代表例だ。プロ転向からわずか2年半で世界一に上り詰めたスピード出世だけを見れば、恵まれた環境でゴルフの腕を磨いてきたエリートゴルファーのように思えるかもしれない。だが、米ツアーに辿り着くまでの彼の日々は忍耐や苦労の連続だった。
父とスピースと弟と3人でゴルフをしていた生活は、妹エリーの誕生とともに一変した。
知的障害者のエリーにかかりっきりになった両親の負担を少しでも軽くするため、スピースは一人黙々とゴルフに打ち込んだ。エリーのスペシャルスクール(養護学校)でボランティアを務めたり、送迎を手伝ったりもした。だが、スピースは、その状況に感謝し、「あのエリーが居なかったら、今の僕は存在しなかった」と言う。
「エリーはいつだって僕が勝つと信じているんだ。僕が負けて帰ったときも、エリーは『ジョーダン、勝った?』と尋ねる。勝てなかったと説明しても、エリーは「やったー!ジョーダン、勝った!」と笑顔で喜ぶ。そんなエリーを見ていたら、僕は彼女のためにも次こそ勝たなきゃ、勝ちたい、勝つぞという気持ちになる。そうやってエリーはいつも僕にインスピレーションとパワーをくれる。だから、あのエリーが居なかったら今の僕は存在しなかった」
全米プロの会場、ウィスリングストレイツにエリーの姿があった。マスターズも全米オープンも全英オープンも、エリーはテキサス州の自宅で留守番だった。兄が挑むメジャー大会にエリーが来たのは今回が初めてのこと。しかも、スピースには内緒で両親がエリーを連れてきたそうで、初日の1番ティーに向かうスピースにエリーが大声で「ジョーダン!」と叫んだ。
「エリーの声が聞こえてきて、びっくりした。見渡すと、エリーと両親の姿があって、駆け寄って少し話をした。でも、エリーにとっては、メジャーか、レギュラー大会かはどうでもいいことなんだ。彼女は僕が勝つことだけしか信じていないし、勝たないと許してくれない。だから、もし優勝できなかったらショッピングにでも連れていってあげなくちゃ」
最終日、勝利を逃したものの、世界一に上り詰めたスピースがカメラマンに囲まれながらアテストテントへ向かおうとしたとき、エリーがスピースに抱きつき、こう言った。「ジョーダンと一緒にテレビに出る!」
優しく微笑みながら頷く兄と妹の微笑ましいシーンは「キュート!(可愛い)」という文字とともに、SNSを通じて瞬く間に全米へ、世界へと広められた。そんなスピースを見て「頑張れ!」と言いたくならない人はいないだろう。
デイの人生物語
そして、全米プロを制したジェイソン・デイの涙に、思わずもらい泣きした人々がどれほど多かったことか。彼の涙には、いろいろな意味があった。
デイは過去のメジャー20試合でトップ10を9度も繰り返した。その始まりは最終日最終組でマーチン・カイマーとともに回り、カイマーの勝利を傍目に自身は10位どまりとなった2010年の全米プロだった。2011年はマスターズでも全米オープンでも2位だった。2013年のマスターズでは最終日の16番で首位に立ちながら、アダム・スコットに勝利を奪われ、グリーンジャケットを羽織った初のオーストラリア人の称号は永遠に奪われ、悔し涙を飲んだ。
「あの惜敗が一番辛かった」
今年は全米オープンと全英オープンで惜敗した。セント・アンドリュースの72ホール目、バーディパットがほんの数センチだけカップに届かず、グリーン上で止まってしまったとき、デイは思わず、肩を震わせ、悔し涙にむせいだ。
そんなデイがウィスリングストレイツで見せた涙が、ついにメジャーで勝ったという喜びと安堵の涙だったことは言うまでもない。
けれど、同時に彼の胸の中には、望郷と感謝の念が広がっていた。幼いころ、ゴルフクラブを握らせてくれたのは、今は亡き父だった。その父親ががんでこの世を去ったのは、デイがまだ12歳のときだった。
父と一緒にゴルフクラブを振った楽しい日々が、なぜ突然、終わってしまったのか。父の死が受け入れられなかったデイは、学校に行けば殴り合いの喧嘩を繰り返し、夜な夜な飲酒に喫煙。荒れた生活を始めた。
そんなデイをゴルフの盛んなボーディングスクール(全寮制の私学)へ送り込み、米ツアーへ、世界へと送り出してくれたのは彼の母デニングだった。デニングは家族4人が住んでいた家を二重抵当に入れてデイの学費を捻り出した。そして、いくつもの仕事を掛け持ち、必死に働いた。倹約に倹約を重ね、一家の生活は爪に火をともすような貧しさになった。
「母も姉たちも、たくさん犠牲を払ってくれた。そのおかげで僕はボーディングスクールに行けた。だから今の僕がある」
変わりつつある、ゴルフの姿
そんなふうにトッププレーヤーたちのストーリーに家族愛が溢れる一方で、選手たちの戦闘態勢は、かつてないほど「チーム化」しつつある。キャディ、コーチ、マネージャー、トレーナー、栄養士、そしてメンタルトレーナー。そういうスタッフを「単に揃える」だけでなく、「信頼」や「心」のつながりを重視しながらチームを構成しているところも特徴だ。
スピースの傍らには幼少時代からのコーチであるキャメロン・マコーミックが常にいる。マコーミックは、スピースが12歳のときから指導しており、スピースにとって妹エリーがどんな存在であるか、スピースのモチベーションはどこにあるかを、すべて把握している理解者だ。スピースのバッグを担ぐマイケル・グレラーは、貧乏学生だったスピースが生活費を早く稼ぎたい一心でプロ転向を決意したとき、ミドルスクールの教師だった。
「キャディフィは出世払いで必ず払うから、学校の先生を辞めて僕のキャディになってください」
そんなスピースの申し出に心を打たれ、グレラーは本当に教師の職を辞して、スピースのプロの道を文字通りゼロからともにスタートした戦友だ。スピースのチームには、そんな
「心の友」が揃っている。
良きチームに支えられているのはデイも同じだ。この4~5年、メジャー大会で惜敗続きだった原因が自分のメンタル面にあると感じたデイは、複数のメンタルコーチの指導を
仰ぎ、一定のプレショットルーティーンを守ることでメンタルミスを防ぐトレーニングを続けてきた。それは彼がここ数年で採り入れた新たな施策ゆえ、メンタルコーチたちはチーム・デイに最近加わった新メンバー。
だが、彼のバッグを担ぐコリン・スワットンはボーディングスクール時代からのゴルフコーチであり、父親代わりでもあり、人生の師でもある。マネージャーのバド・マーチン然り。
「コリンとは12歳からの付き合いだし、マネージャーとは16歳から、妻とは17歳からの付き合いなんだ。だから、みな気心が知れている。そして何より、僕のチームにはイエスマンがいない。ゴルフのみならず、人間としても、人生においても、僕を正しい方向へ導いてくれる」
用具が進化し、選手たちの飛距離が伸び、技量レベルが上がり、ゴルフというゲームはワザの勝負からパワーゲームへ変わったと言われて久しい。ジュニア教育が盛んになり、プロゴルフ界は若年化に拍車がかかっている。
そうやってゴルフの世界はどんどん進化しているが、ふと気が付けば、その頂点にいる選手たちの人生物語は、かつてないほど浪花節化しているところが面白い。
その現象は、ゴルフの裾野が広がりつつあることの1つの証だと私は思う。かつては富裕層のスポーツだったゴルフが、庶民のスポーツとして普及し始め、その結果、貧しさと向き合ったスピースやデイがゴルフに人生の活路を見い出し、夢を追いかけ、努力して成功を収めた今、彼らの成功秘話が世の中に伝えられ始めている。
家族の愛情、友人知人の助け、チームのサポートを得ることで、ゴルファーはどん底からでも這いあがり、メジャーチャンプにも世界一にもなることができる。そして、ゴルフは個人競技でありながら、かつてないほど団体競技となりつつある。
もはやゴルフは「リッチなスポーツ」でも「孤独なゲーム」でもない。時代とともに、いや時代の変化に即して、ゴルフの在り方も変わりつつある。スピースやデイは、その実例を世界に示しつつある。
今年のメジャー4大会には、そんな意義があった。